男の居場所 投稿日:2014年12月11日
あきらめる(15)
そのときに人は悩む。
“このまま会社にいても決してうだつがあがらないだろう。
それでいいのか?転職をしたら”という考えが頭をよぎる。
しかし、転職してもそれまで身に着けた知識やスキルを活かしていけるだけの自信はない。どうしたものか、と悶々と悩むことになる。
そして、多くの場合は今までの道を選ぶことになる。
選ぶと言うよりは他の道を選ばないという決断をするのだ。
そして決してハッピーではないが、仕方がないと諦めてしまう。
男の居場所 投稿日:2014年12月11日
そのときに人は悩む。
“このまま会社にいても決してうだつがあがらないだろう。
それでいいのか?転職をしたら”という考えが頭をよぎる。
しかし、転職してもそれまで身に着けた知識やスキルを活かしていけるだけの自信はない。どうしたものか、と悶々と悩むことになる。
そして、多くの場合は今までの道を選ぶことになる。
選ぶと言うよりは他の道を選ばないという決断をするのだ。
そして決してハッピーではないが、仕方がないと諦めてしまう。
男の居場所 投稿日:2014年12月10日
下り坂の風景をもっと具体的に見ることにしよう。
40歳を超えてくると、会社や社会における自分の立場が見えてくる。
同期入社で選抜される人とそうでない人が分かれてくる。
ほとんどの人は“そうでない人”の分類に入る。
そして、“なんであいつが昇進して自分は取り残されるのか”と怒りのような感情がこみ上げてくる。しかし、それを誰にも話せないし、そっと自分の胸にしまっておくしかないのだ。
そして、何食わぬ顔をして残りの会社生活を送らねばならないことを悟るのだ。
男の居場所 投稿日:2014年12月9日
下り坂にさしかかって来ると、見える風景も変わってくる。
上り坂のときは、周囲の風景を見る余裕もなくただひたすら頂上を目指して登っていった。視界に入るのは、登っていく道中の近景だけであった。
しかし下りに入ると、足元の近景だけでなく遠景も見えるようになってくる。
そして、変化していく風景を楽しむ余裕がもてるようになる。
しかし、下り坂では、登るときほどエネルギーは使わないのだが、登るときに体力を消耗したものだから、疲れを残したまま下ることになる。
そして、登っているときに感じたワクワク感はもうない。
男の居場所 投稿日:2014年12月8日
しかし、それ(ピーク)もつかの間のことだ。
そのうち(近い将来)手に入る、と思っていた“輝かしい将来“は、だんだん遠ざかっていくだけでなく、体力のほうはどんどん衰えていく。
自分が下り坂にさしかかっていることを認めることはつらいことだ。
それが見えてくると、今度は「定年までなんとか勤められればよい」と思うようになる。そのときにはもう下り坂の中途に差しかかっているのだ。
真上にあった太陽は西に傾きかけ、上り坂のときには自分の後ろに見えた影は、自分の前に見えるようになる。
男の居場所 投稿日:2014年12月5日
ユングは、人生の折り返し点を40歳とし、人生の正午という言い方をした。
太陽は真上に輝き、自分の影も映らない。人生で一番輝いているときだ。
しかし、それを実感できることはまずないだろう。
なぜなら、体力のほうは40歳になるまでにピークを過ぎるが、仕事を通じての会社内での地位や社会的立場はその後も上がり続けるから、ピークはもっと後にくると思ってしまうからだ。
つまり、肉体的には“もう若くない”と感じても、精神的には“まだ老いていない、これからだ”と将来に対して楽観的になることができるのだ。
男の居場所 投稿日:2014年12月4日
上り坂のときは、人生はバラ色に見えた。
努力次第で、もっと良い未来が拓けると素直に感じることができた。
今よりももっと良い未来が待っていると。
頂上に達したときに見える風景を期待しながら山を登ってきた。
きっと360度パノラマに違いない。
しかし、登りきったと思われるところに着いても必ずしもバラ色には見えない。
むしろ後になってそこが頂上だったと気づくのではないか。
しかもそこに留まれる期間はそう長くは続かないものだ。
やがて下山の時期に入る。
体力はだんだん衰えてきて、無理がきかなくなってくる。
すべてのものが以前のように生き生きとは見えない。
政治と経済 投稿日:2014年12月3日
12月に入って何かと忙しいなかで、選挙カーから聞こえてくるマイクの声がいっそう忙しさを感じさせる。
ところで、今回の解散にはどう考えても大義はない。
議員の定数削減は手付かずだし、多くの重要案件を廃案にしてでも「今」選挙するだけの大義は見つからない。
それに、大臣を辞任した2人の議員も立候補している。
明らかに自民党側におごりと倫理観の欠如が見て取れる。
ところが、野党側に受け皿となる政策が認められない。
自民には入れたくない、そうかといって野等も頼りない。
それでも一票を投じなければならないのか。
季節 投稿日:2014年12月2日
尾道で母の三回忌を済ませたあと、京都に立ち寄って紅葉を見ることにした。
もう散り始めていて、見ごろを過ぎているかもしれないと心配しながら京都駅に降りた。
久しぶりの京都観光である。あいにく翌朝(12月1日)から雨で、金閣寺、竜安寺、天満宮の3箇所だけ見ることにした。
やはり紅葉は盛りを過ぎていて、落ち葉を踏みしめながらの観光となった。
竜安寺ではまだモミジが残っていて、窓越しにすばらしい紅葉を眺めながら会席料理を楽しむことができた。