季節 投稿日:2015年4月13日
しだれ桜
雨の日が続き、桜(ソメイヨシノ)は花びらを落とし、その後に緑の新芽を出し始める。
その頃になると、今度はしだれ桜が満開を迎える。
その優雅な姿に行く人は立ち止まって眺める。
ただし、この桜は群生することはなく(人が植えないから)、あそこに一本、ここに一本と散在するのが面白い。
そのため、ソメイヨシノが遠くから眺めるのに対し、しだれ桜は近くで見上げて見るのがふさわしい。
ソフトパーク前理事長・織田善行氏のブログ記事です。
2014年7月から2016年10月までの間に、当法人における思いや信念について織田氏が日々綴ったものです。
季節 投稿日:2015年4月13日
雨の日が続き、桜(ソメイヨシノ)は花びらを落とし、その後に緑の新芽を出し始める。
その頃になると、今度はしだれ桜が満開を迎える。
その優雅な姿に行く人は立ち止まって眺める。
ただし、この桜は群生することはなく(人が植えないから)、あそこに一本、ここに一本と散在するのが面白い。
そのため、ソメイヨシノが遠くから眺めるのに対し、しだれ桜は近くで見上げて見るのがふさわしい。
季節 投稿日:2015年4月8日
今日は冬に逆戻りしたような天気だ。
予報によると、最低温度が3℃,最高温度が7℃になり、東京地方にも雪が降るかも知れないという。
こんなときに困るのが服装だ。冬物はとっくにクリーニングに出していて、コートもマフラーも無いとしたら厚着するしかない。それに外は雨が降っていて、一層寒く感じる。
どうやら、今週はぐずついた天気が続くようで、春と桜前線は一時どこかで足踏みしそうだ。
日記 投稿日:2015年4月7日
今、全国各地で学校の入学式が行われている。
場所によっては満開の桜を愛でながらの式となっている。ところで、信州大学の入学式で、学長が祝辞の中で「スマートフォンを取るか、信州大生を取るか」と迫られたうえ、「スマートフォンのスウィッチを切って、静かに本を読もう」と呼びかけられたそうだ。
この時期、きわめて的確な指摘だと思いたい。
若い人たちにとってスマートフォンは自分の一部になっている。
それの無い生活は自分の一部が切り取られたことに等しい。
たとえ2,3日でもいいから、スマートフォンの無い生活を送って見て欲しいものだ。
季節 投稿日:2015年4月6日
桜の花は、満開に咲くまではしっかり枝についていて、春の嵐にも雨にも散らされることはない。
しかし、満開を過ぎると、急いでいるかのように散っていく。
しかも、その頃(満開)になると決まって嵐と雨がやってくる。
東京地方は、昨日も雨となったが、今日の夕方にはもう次の春雨前線が日本列島に近づいてきて、雨になるという。
どうやらこれで、桜の花の見納めということなのだろう。
ただ、一つだけうれしいことがある。
春の嵐と雨は、同時に杉の花粉を吹き飛ばしてくれるようで、マスクをする必要がなくなった。これでやっと春を楽しむ気分になるのだ。
季節 投稿日:2015年4月3日
あっという間に咲いて あっという間に散る。
桜の木にはその後もあるのだが、人はなぜか花の咲いている期間だけに関心があるようだ。そして、その短い期間に合わせて、自分の人生を重ね合わせて見ようとする。開花、満開、散花のステージだ。
そして昨日書いたようにお祈りをする。
人は、このうちのどこを見るかによって、その人の置かれている状況が見えてくる。
散る桜 残る桜も 散る桜
日記 投稿日:2015年4月2日
わたしたち日本人は万葉の頃から桜を特別な感慨をもって眺めているが、この桜に願いを込めて祈る人が多いと聞いた。
咲きはじめの花には「希望と夢」を、満開の花には「就活、婚活などの現在の願い」を、そして散り際の花には「厄や不幸を吹き飛ばして」と願うのだという。
今年は開花宣言が出たと思ったらあっという間に満開になっていた。
桜は満開になると散るのが早いから、願いごとをし忘れる人もいるかもしれない。
日記 投稿日:2015年4月1日
今日(4月1日)は殆どの企業および官公署で新事業年度入りする日だ。
新入社員を迎え入れて入社式が行われ、配属先が決まる。
新人にとっては運命の一瞬だ。彼らは入社前に希望していた部署に配属されることはまずない。社章を胸の襟につけてもらってやっと会社の一員になれた気がするが、どんな上司の下で、どんな先輩たちに囲まれて仕事をするのだろうと、期待半分・不安半分というところだろう。
「初心忘れるべからず」で、この日のことを忘れないで頑張ってほしいものだ。
季節 投稿日:2015年3月31日
ここ数日の気温上昇で、東京地方はいちはやく桜の満開を迎えた。
桜の名所と言われるところはどこも花見の見物客で人ごみができている。
今年は外国人の観光客が多いのが特徴だという。
わざわざ満開の時期に合わせて来日するのだそうだ。
最近はさすがに桜の木の下にシートを敷き、花見酒とはいかなくなったようだが、人はピンクの花びらに何を見ているのだろう。
日記 投稿日:2015年3月27日
昨日までの「卒業式」で述べなかったものに、企業の卒業式がある。
つまり定年退職だ。
多くは事業年度末(3月末)か該当者の生年月日の属する末日に迎える。
年齢もその企業の方針で60歳であったり65歳であったりする。
その日になると、企業では組織長から長年の勤務に対して慰労の言葉が贈られ、本人からも「長い間お世話になりました・・・」という感謝の気持ちが述べられる。
そして女性社員から花束を贈られて拍手をもって見送られる。
ここには学校を卒業するのとは違った意味がある。
すなわち、次のプロセスが用意されていないのだ。
ここで終わるか、または自分で次のプロセスを見つけなければならないのだ。
日記 投稿日:2015年3月26日
卒業にはいろいろな種類がある。小学校、中学校、高校、大学等々の卒業。
これはいずれも、人生の節目におけるプロセスのなかでそれを終えたことで卒業するものである。その後には必ず次のプロセスが待っている。
しかもチャレンジングなものである。だからそこには希望がある。
しかし、次のプロセスが始まらない卒業もある。それは文字通り人生の卒業だ。
最近の新聞の死亡欄を見ると、自分と同世代の人が載っているのを見かけることが多くなった。そろそろ・・・と感じてしまう瞬間だ。
一方で、事故に巻き込まれて、若い人が亡くなっている。
人生はcontingency(偶有性)に満ちていて、何が起こるかわからない。